時代を作ってきたおじさんたちは そのことに誇りをもっている。 現代の諸処の問題に対して自分たちが生きている間はまあ大丈夫だよ。ははは と笑っている姿をよく目にする。
そんな話を聞くと自分の子や孫の時代は他人事か?と腹が立ったり悲しくなってしまうけど、おじさんたちが頑張ってきたから、美味しいモノをたべ 好きなことをして ぬくぬく育ってこれた。

子供の頃は 歴史的にも世界的にも恵まれた時代に一番豊かな国に生まれてなんて運が良いんだろう(笑)とおもっていたけど そうやってぼーっと 安心して生きてきた。
安心してぬくぬく生きてきたはずだけど その裏で 自然環境は破壊され、人間自身も(そのこども世代から)アレルギーや 謎の現代病や 鬱病などはどんどんと広がっていった。

なにか大事なモノ 本質が抜け落ちたままつき進んでいっているような
空虚感があった


痛いことや闇を見ないようにしていては 必ず後でそれは莫大になって返ってくる。
掃除は溜めて一気にやるより、日々の生活の中で気付いたときにまめにやったほうがいい。


上ばかりみて背伸びしたり 外国ばかりみて競争したりして
浮かれて調子に乗ったり
自分自身を 足下をきちんと見ることを怠った。


全てのものことは循環していることを想像する
自分の場所に来たときのことしか知らない。 でなく


そのあとどこへ行ってどうなるのか
そして どこからどういうふうに来たのか

そのことを想像してみる。


よくわからないものばかり手にし 捨てていれば
よくわからない身体、よくわからない世界 になる。


それでは 何故蝕まれているか わからず 不安も膨らむし

自分自身と 世界に対して 責任を持てていない。



問題が複雑膨大すぎてどこから手をつけて良いかわからない そんなことはない。
本当はものすごくシンプル。


まずは いま自分の目の前のことから。
関わる時の 姿勢。
自分が納得出来たら 
身近な家族から。


私たちは豊かさも痛みも両方しっている。
これからどういう未来に向かっていくか 想像できているはず。
いますぐに何か大きな事が出来るわけじゃなくても、
いつも少しだけ勇気をだして一歩踏み込まなくてはいけない。
小さな事でも
一つ一つ
瞬間瞬間
真っ直ぐでいよう。

基準は外にはない。
自分自身。

モノクロ世界と色眼鏡

不安が ときどき 視界に黒いシミを落としていくので


ありのままのあなたを そのままに みれなくなってしまう


お互いに




あなたを色眼鏡で見てしまうのは
過去の あなたの不安 過去のわたしの不安 
 そして今の 誇大化した かってな妄想




もしかしたら


いい思い出も 素敵な光も
わたしの瞳に 黄色い色を落としていくのかもしれない




こころは何時もカラフルで
たとえどんな色でも




汚い色なんてない。




色んな色が 移り変わって通り過ぎてゆくのを眺めながら




でも 何時も 透明でありたいなって おもう ふたり




.・・・‥‥‥‥‥‥・・・・‥‥・・‥・・・‥・・・・・‥‥‥・・.




ほんの一瞬 ほんの一瞬


本当の光が ふたりの心を射した




        ..・・・




わたしたちは そのことを 知っているから。






またまわって 裏側を通って  


また 辿り着くだろう




見えない 


月の裏側は


確かに存在している




どうしたら あなたをまるごと包むことができるのかなんて
考えていること自体が エゴなのかもしれない

roots

 育った家には 
   
色が 溢れていた


光が差し込む部屋


満たされた こころと
自由なきもち


部屋のあちこちに

 
 を 

発見することができる


   そこにはもちろん少しの闇もひそんでいるんだけど。。
 。

そうやってわたしは生まれてきて

 育って 

自然と うたい おどって えがいてきた


ふつふつと

湧き出てくる

眩い世界に


いつまでも・・・
いつまでも・・・