ゆうぐれ時に 秋の気配に ふとふりかえってみる



出逢っては 別れていく
けど たべたものが体をつくるように


それは わたしというにんげんを形成している。


消えることはなく
ずっとココに 在る。
ひとつづつ つみかさねられていく


(大切な モノ)






うまれたときから ずっと変わらない 絶対的な 私 がいる。


だけど


誰かと出逢うたびに また しらなかった自分をみつける。
(誰一人として  何時 どの時も 同じ私は ない。)


そのひとそのひととの 間だけにうまれる 心地よさがある






  生まれてくるメロディのように


  描きだされる色彩のように


  空気 におい 笑い 記憶 光 温度 風  虹  夕暮れ空・・・






 あなた と わたし の間にある それ は  
     なんなのだろう。。






それは  これからも ずっと つづく。
 であい  は   これからも  ずっと つづく。




きらめく にじのように   あめあがりの 一滴のように




どこかできっと あなたも 今日を過ごしていることでしょう。。






+       +       +




いつまでたっても わたしは変わりはしない・・
なんて 行き詰まり感に苛まれるともあるかもだけど


なんとでも成れる  変われる可能性を 同時に持っている。




変わらない部分(性質や 芯の部分)
を持っていると同時に
空っぽの透明人間でもあるんだ。




わたしは 個 であると同時に 世界 である




そのことに気付いたら 
少し生きるのが楽になった。
しらぬまに 汚染がすすんでいくように  


ある特定の世界の中だけでの 常識 や
 暗黙の了解みたいなものに 


身をゆだねていてはいけない




受けてきた教育なんてものは
数年で変わってしまう




長い歴史の中で 変わらないモノと 移り変わっていくモノ




同時に観て 進んでいきたい。
いつも いまある しあわせを かみしめることを やめてはいけない






しんどいとか つかれたとか いやだなぁ
って




そうしているのは 自分自身


そっちにいることを選んでるのは自分自身






正直しんどいことは絶対あるけど
それをいかに克服していくかっていうのも
楽しいじゃないか


人生の スキルアップみたいで。

喜怒哀楽  春夏秋冬  気  エネルギー  循環  関わり  共生





喜怒哀楽があって 自然なことなのに 
いつの間にか それを抑える方が うつくしいみたいな・・ かんじになっていたなぁ。。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。




地球の長い歴史の中で いまが そういう時期なだけなのか
それともここ100年くらいで急激に人間によってフラストレーションを加えられた反動なのか。。




テレビの報道とかを見ていると 人間の目線のゆがんだ傲慢さを感じてしまうようになった。








漠然とした不安 とか 恐れから 
単に目をそらせないで  冷静にその元を見てみたい




いろんなエネルギーは かならず起こるものだから
そのことは 受け止められるようになれたらなぁ










幸せ って なんなのか
生きる って なんなのか










人間が発する電波や情報から 一元化された価値観を ただ無意識に毎日受け入れていくのではなく








自然が発するコトバに  空気に  毎日 耳を傾けるようにしたい。


毎朝そうやって 今日の世界と わたしの内側を しずかに確認する。












白い 画面の中の  黒い文字だけを見て
真意はわからない  世界はわからない




教科書の文字だけを見て 真に学ぶことはできない




コトバは 物事をある側面から見てあてはめただけだったり
使われている内に 中身のないものになっていたり
よくわからなくて 不安 なものを 自分の手の中に納めて安心するために それを箱にいれただけだったり するから






こころとからだをつかって
じぶんで 掴んでいかなくちゃならない。












固定観念は 常に 新しくまた植え付けられていくから
そのことを意識してなくちゃ


また滞ってしまう。












外から持ち帰ったもの
今日の疲れ


その日の内に整理して






明日はまたまっさらで 生まれた私で 迎えたい。

minnnachigatte minnnaonaji

みんながそれぞれの だれひとつおなじでない 


それぞれの方向に向かって生きていて 進んでいく 


だから(またはその逆)地球は球体なのかな。


そして その中心と 一番外側で またみんなつながっている。








地面も空も つながっている


無意識のぶぶんで つながっている

一瞬 と 永遠 の関係

一瞬 が 永遠になるような 瞬間


それだけを 糸のように つなげていきたい。

gohan






                             mya.




                       myamya  ..

僕にしか見えない地図

って マサムネさんがどういう意味でいっているのかわからないけど、




目的地がちゃんと見えていたら

どの道から行っても ちゃんと辿り着く

大丈夫。


*       *

今日出会った人が ”気のせい” を気にしてみる・・ と言ってました。



*            *              *


もしも 目的地が見えなくても

その瞬間 こころに響いたことを やってみる

その連続で 辿り着けていたりするものです。。

juillet*
































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//・・

 ...。           .。.....。。  .........。。。  ............。。。  ..。。

localite



この五ヶ月で


大きなエメラルド色の


宝石を手に入れたみたい。


ありがとう。


2011/6/26

like someone in love

初めて聴いたのはこのひとで

スタンダードの中で一番好き。



sugercubes
あのへんてこなおにいさんTp吹きやったんやなぁ
なんだかちょっとメルヘンコとサウンドが似ているっ
いやTpの感じが・・
偶然ですけど・・



しずく



どんなにか せつなくて

わたしは ここに いるよ

きっと うまれるまえから

しっていた 暗号


ぽつん あめあがりの


あじさいの
 葉から こぼれ おちた ひとしずくの  ように。。

しずく から しずく



67
ことばのつぎのことばを ください

葉 から 葉へ つたわり はねる しずく


ことばのおくのことばを ください

やみのなかであなたに あえた

       *


しらないうみのまんなか おちた


そこにはなにがねむっているの ぉー

       *
       *


とおくからとおくから

すこしずつ 
       *
       *


とおくからとおくから


いっぽずつ



ゆびさきと ゆびさきが


ふれるまで・・

思考回路

なんでも 本当は 答えは たったひとつかもしれない。



真実は




だけどそれは  え、こんなこと口にだしてもいいんかなぁ・・

みたいなことだったり



ちょっと恐くて  勇気がいることだったりして、




なぜか問題解決しようとするときに   根本の そこを見ないようにしてしまう


本当は 答えをうすうすわかっているのに。



恐くて ふみだせないから



ああでもないこうでもない



外堀埋めていくように


小手先でその場しのぎのことしたり ちがうことを いろいろ やってみちゃう  



ことが




問題を  より  ややこしく   複雑に  どうしようもなく   してしまう。





でも  大丈夫 




どんな問題も  本質を 根本をみれば  きれいにいく






どうして  


なにを


おそれているんだろう



*   *

無意識のうちに 覚えた違和感を 馴らしていくことに  慣れていると

いつのまにか 病んでしまっている


それは サイン
なにかに依存していることを前提にして 生きていると

それが崩れたときに 責めたり 争ったりしてしまう。




この世に 絶対なんてなく 
本来サバイバルなのが当たり前で




うちなる自律した強さをもって 生きていきたい。



そのうえで



信頼できるひとと 時に協力できたらいいなと思う
想定外 っていうことばは 偉そうな感じがする。


ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで その問題を解決することはできない。

と アインシュタインは言ったそうです。



今の世の中動かしてる主導権握っている人たちは

わたしたち 次の世代に 沢山の 危機や 問題定義をしておきながら

自分たちの生活は変えてはこなかった。(もちろんいろんな人がいると思うけど)

その 常識 の中にいて

おなじ価値観のラインの上にたっていては  時間だけがどんどんすぎていってしまう・・



*****

個人の中の 美しさを みたい




金八先生の最終回をみた。

大人になった生徒たち。

ぼーっとみていて 思ったこと


みんな中学生の時は 漫画のキャラクターか思うくらい
個性的(顔が)
個性がきらっきらっ


大人になったみんなは ちょっと均一化されてるというか
化粧や髪型や服装が似ていて

制服の時より
みわけがつきにくいなぁと  全体をぼ〜っと見ていて、おもった。

特に20代頃に限ってのことかもしれないけど。

何気なく ふだん えらんでいるもの ・ あたりまえに つかっているもの



原発を推進している電力会社から電気を買っていることは

それをすすめていることになってしまう。



もっと 個人で使う電力くらい それぞれ個人で発電できないものか。。



歩いたり走ったり 踊ったり 大きな声を出したり 演奏したり。。

そんなエネルギーを こまめに電力に変換できたら いいなあ。

hon yomi...














su te ki

ちかいしれいさん の 手をつないでください


”まだ、間に合うのなら” という本を八百屋さんで315円で買って読みました。 
1987年に普通のお母さんが書かれた長い手紙です。 
非常にわかりやすかったです。 


。。。。。。。 



これから何を信じてなにを基準にして生きていくのか 


情やしがらみや周りの常識を基準に動いていたらいけない 


これまでの世の中の仕組みの中に入っていて 
その中で生きていては やっぱりこれまでと変われない きっと 

いつの時代も、、 


。。 
みんなそれぞれの場所で一生懸命生きていて 
みんな頑張っていて 
みんな自分の専門のことをしている 


誰がわるいわけでもなく 
自分も社会の一員で 
恩恵を受けてきて 
自分も完璧じゃないから 

人のこと言えないし 
専門のことはわからないから 専門家に任しておいたらいい 
というふうに 

ひとそれぞれ自分のやるべきこと 自分にしかできないことがあるけれど 
だけどだからって 他のこと任せっきりでいては、それでは  野放しで 
それが信頼できる相手なら いいんだけど 



人類の問題は 人類みんなの問題 


奢れるものはひさしからずで 

もっと根底から 価値観 生き方 暮らし方 

常に問うていかないと 


結局全員が加担者で 全員で滅びてしまうことになる 



どうしても 一般常識とか、まわりのみんな を基準にしてしまうけど 



当たり前のように敷かれたレールの上を不安なく進んでこれた人が大半な世の中で、 

本当に 自分の感性を使って考え判断し行動し発言し選択していく訓練みたいなことは あまりなされてないんじゃないか。 


。。 
本質を伴ってないもの 
目がはっきりしていない人のいうこと 
ちゃらちゃらしたものは 

とりあえず選ばない! 



それぞれが信頼しあってともに進んでいく関係を築いていくには 
自分にも相手に対しても まあいっかではすまされない 

人はみんな完璧じゃなくてあたりまえなんだから 
自分も完璧じゃないけど おかしいと思うことは発言していかないといけないとおもう。 


。。 

学校で もう二度と戦争の悲劇は繰り返してはいけません。 
    日本は非核三原則があります 憲法第9条があります 

 と やたら強調された印象がある教育でした。 

その間 原発は作り続けられていた 

本当に、 電力が足りなくて 必要だからつくったのか? 
  そもそも本当に そのリスクを背負ってまで電気が必要? 
  それに大量に次々新しいものつくっては ゴミになってゴミ問題なのに 

本当にCO2削減のために 作ってるの? 
CO2減らせても世の中汚染されるのに? 

いまのこの時代のエゴとその場しのぎのために作られたものの 危険が 
もう私たちから全く無関係なくらい、遠い遠い子孫にまで続くものを 
そんな簡単になんでつくれたのか・・ 



戦争にしてもなんでも、普通にかんがえたらあり得ないようなことが なんで起こるのか 


子供の時 そうやって学校で勉強して、 
あ〜 今は日本は戦争してなくて 世界もトップクラスの平和な国にうまれてよかった〜  て 思っていたけど、 


ちがう。 戦争とか 戦争はおわったとかやない、 


ず〜〜〜〜っと ず〜〜〜〜っと 


同じ    

ずっと前から  続いている 今も。 




。。 

経済て 社会てなに!? 

一番大切なものはなに!? 



既存の枠の中に収まっているのではなくて、一人一人が それを 創れるはず。 



いいかげん 人間自体が もうちょっと成長できないのか・・ 


できないのなら もっとそれを前提にした仕組みに変えていくとか、 




でもやっぱり 根本は 環境、暮らし、ライフスタイルだと思う。 
そこが 自然の法則から離れていなければ 
人の考えも 人間社会だけの中の世界での虚構にはならないと思う。 



生きている限りは あきらめたくない 
あきらめたら 生きていく気持ちも失せて 病んでしまう 
生きている意味さえもない 



24年も前に 書かれた人と 今の私が また同じことを思う 憂う 
こうして事故が起きてから初めて真剣に考えてみてる 
愚かしいことです。 
(今までもっと向き合って考えてこられたみなさん、すみません、) 


人間のそういうとこ なんとかならまいか 


大きな問題も小さな問題も 同じ人間が引き起こしたことやから 
敵が外にいるんじゃない。他人や政治家や外国を責めてもしかたがないなあ。 

現実的な具体的な目に見えておこることはすべて結果だから 
  
それを起こしている人間自体を、自分自身の内を 見つめてみませんか・・。 


普段しているなにげない・・どういう考えや 癖が そういうことに つながっていっていくのか・・